所属
1963年 東京都生まれ 京都府長岡京市出身(京都市中京区在住30年超)
〈学 歴〉
1976年 長岡京市立長岡第七小学校 卒業
1979年 長岡京市立長岡第二中学校 卒業
1982年 京都府立向陽高等学校 卒業
1986年 京都教育大学教育学部 卒業
2013年 京都大学経営管理大学院MBAコース 修了
2015年 京都大学エグゼクティブ・リーダーシップ・プログラム 修了
〈職 歴〉
1986年4月~1992年12月 京都中央信用金庫 三条支店、人事部
1993年9月~2018年8月 株式会社 中藏
1999年6月~ NPO法人 リアル・リンク京都
〈業界活動歴〉
一般社団法人 京都府建築士事務所協会 元専務理事
一般社団法人 総合デザイナー協会 元理事
〈政治活動歴〉
2008年 自由民主党京都府支部連合会 青年局常任幹事
2018年 自由民主党京都府支部連合会 総務(党員表彰)
2019年 京都府議会議員(京都市中京区)(1期)
2019年 自由民主党京都府支部連合会 常任総務
2021年 自由民主党京都府支部連合会 組織副委員長
〈議員活動歴〉
2019年 府民環境・厚生常任委員会 委員
2019年 文化スポーツ振興対策特別委員会 委員
2020年 農商工労働常任委員会 委員
2020年 産業の担い手の確保育成に関する特別員会 副委員長
2021年 総務・警察常任委員会 副委員長
2021年 子育て環境の充実に関する特別委員会 委員
2022年 農商工労働常任委員会 副委員長
2022年 府民の安心・安全な暮らしに関する特別委員会 委員
<その他所属団体>
京都教育大学同窓会 理事
京都伏見ロータリークラブ 元副会長
京都青年会議所 特別会員
幼少の頃 東京から京都へ
父親の仕事の関係で東京都杉並区にて生を受けましたが、2歳のころには父の実家のある 京都市下京区に戻り、その後幼稚園から大学を卒業するまで京都府長岡京市にて両親と妹二人の5人家族で育ちました。 自宅は新興住宅地で、近所のたくさんの子どもたちと田んぼや畑で缶蹴りやドッジボールをしたり、段ボールで基地を作りレンジャーごっこなどをしたりして日が暮れるまで遊んでいたことを覚えています。
10代の頃 教師を目指して
中学生の時に恩師の勧めもあり教師になることを志し、奨学金を受けながら地元の公立高校を経て京都教育大学へ進みました。ずっと体育会でバスケットボール(京都府立高校大会優勝~大学関西1・2部リーグ)をしていたので、将来はクラブの顧問になって、涙と汗の輝く強いチームを作りたいと夢見ていました。
しかし、在学中に児童や生徒のような「こども」だけの教育を対象とするのではなく、学生や社会人のような「おとな」の成長にも関わりたい、総合的に「人を育てたい」という思いが芽生えるようになり、当時奨学金をいただいていた地域と密着し人を大切に育てると定評のありました京都中央信用金庫へ就職をしました。
20代の頃 世は束の間の好景気
京都中央信用金庫では三条支店で預金・貸付・渉外係として6年間、人事部では数か月でしたが、多種多様な経験をさせていただきました。それらの経験や地域での営みの大切さを肌をもって知ったことはこれまでの人生の中で大きな糧となっています。
当時はバブル経済により束の間の好景気を迎え、法人個人の所得は伸び、大量生産・大量消費がもてはやされ物質的には大変豊かになりました。私生活では大学のクラブの後輩であった妻と家庭を築き一男二女の子どもにも恵まれ、居を構えることができました。
しかし、その頃からグローバルスタンダードや拝金主義的な社会のあり方や自身の社会との関わり方に疑問を感じ始め、仕事の傍らボランティアで環境保護活動を始めるなど、社会問題にも関心を持つようになりました。
30代の頃 修練のとき
そのような折に、環境保護に見識をお持ちの有志の方々から環境保護活動へのご支援のお話をいただき、幸いなことに妻の理解もありましたので、環境保護事業で生計を立ててみようと一念発起し、金融機関を退職し起業家として独立しました。
ちょうどその頃、バブル経済の崩壊が始まりました。しばらくは環境保護事業一本で頑張りましたが、当時はまだまだ環境保護事業だけで生計を立てることは難しく、実際には株式会社中藏での建築の仕事も手伝わせてもらいながら何とか生活費を捻出しました。
しばらくして、それらがようやく軌道に乗りはじめNPO法人『リアル・リンク京都』を主宰、設立し、セミナーや出前講座を開いたり、環境保護活動を展開したりして、社会貢献活動をライフワークとして位置付けできるようになり今日に至っています。
40代の頃 事業が進展し始める
建築の事業も順調に拡大し39歳で代表者になりました。営利事業であっても環境の保護や社会に貢献するような仕事がしたいと考えるようになりました。その一例が、京町家の活用です。無残に取り壊されていく京町家を眺めながら何とか上手く活用できないものかと、新たに一棟貸し京町家旅館事業に取り組み始めました。
それはまさに古民家の再生という環境保護と、京都の町並みの保全という社会貢献、加えて空き家問題の解決と、いわば一石三鳥の事業となりました。
京町家旅館『藏や』では、単に箱物としての京町家体験に留まらず、京都の町や人が大切にしてきた思いや和の心が自然と伝わるように意匠しています。そして、引き戸を開けて一歩踏み入れれば、誰もが茶道や華道などに代表される京都の伝統文化を味わってもらえるように心を配るなど、日々、京都の文化を発信しています。
50代となって 想いを伝えることへ
内外から多くの観光客を受け入れる京都からしなければならないことは「京都の文化を日本へ」「日本の文化を世界へ」その素晴らしさや大切さを発信し、京都の思いや和の心を我々でつないでいくことではないかと考えています。多種多様な人々を受け入れつつ共存し、古き伝統の良さにこだわって守り通し、その一方で新しい良いものを敏感に取り入れる京都の風土で醸成される京都の文化は、世界中の人々の支持や共感を得られるに値するものだと思います。そんな京都からの発信は、日本や世界を『つなぐ』ことができ、大きくは世界の平和を目指すことも可能ではないでしょうか。
このような想いをもって事業を進めようとするなかで、自ずと政治や行政と関わる機会が増え、自身も政治に関心を持つようになり、考え方の近い自由民主党に所属してこれまで勉強を重ねてきました。
事業や奉仕活動を通して先のような想いを叶えることも一つの方法ですが、これまでの経験や出会った人達から学ばせていただいたことを活かし、一人でも多くの方に賛同していただきながら、政治の世界を通してより多くの人に発信することで、早期に想いを実現することが可能であるのではと考えています。